日記
 
スポーツの話題が多いと思うけど日々思うことを徒然と。
 



息子の一人暮らし

引越しの手伝いで息子の新居に行く。
独身寮はワンルームマンションで、自分が一人暮らしするならここに住みたい!と思わせるものだった。
実に羨ましい。格安家賃であんな部屋に住めるなんてほんっとうらやましかった。

いまどきの若者(死語)向けなんだろうなあと思わせたのが、ワンルームなのにコンセント数の多いことと、最初からネット環境が整えられていること(そういう関係の会社でもあるせいなのだが)だった。
荷物おろしながら、LANの引き込み線がTVアンテナの下に既に存在しているのを見て、ネット接続はどうなるんだろう、と息子と思ったものだが、ほどなく解決。

寮生活の説明会時にインターネット加入したい人用の案内まで配られたのだった。

行く前に、固定電話加入権なしプロバイダにすればいいんじゃないか?とか、加入権を格安で買えば?とかあれこれ思案していたのが馬鹿みたいだったのである。

とて。

やはり私はここ数日間のことを生涯忘れないだろうと思う。

行く前から息子が寂しがって「行きたくない」を連発していたので、私も寂しくて仕方なかったため、お互いめそめそしているわけだ。

夜になるとしくしくしくしく。

引っ越し先では忙しさにまぎれて頑張ってたけど、やっぱりお互い寂しくて。

最後に別れるとき顔見るとまた泣きそうなので、ろくに顔も見ずさっさと部屋を後にしたけど、クルマに乗り込むとき、息子が降りてきてそれがいけなかった。

ダンナが泣きだしてしまったのだ。

あまりに意外な展開にみんな泣いてしまう羽目になった。

でも。

22年間育ててきてよかったなと思ったのは。
あんなにケンカして意見が全く合わなかったことも多かったのに。

やっぱり寂しくて仕方ない、と思ってくれたことだった。

今日から仕事だったが、どうだったのだろう。
ちゃんと食事はしてるのか、とか気になって仕方ないが、今は本人もとにかく忙しいだろうし時間があれば眠りたいだろうし、連絡は控えておく。

私も今日はかなり立ち直っているのだ。

実は。
息子とはプロバイダ契約での本格的ネット開通こそまだだが、スマホのテザリング機能でノーパソでこっちのコンピュータとネット通信が可能なのだ。
スカイプをお互い入れているので電話代がいらないことと、向こうがWEBカメラをつけているので向こうの様子が分かるのだった。
まあ、このテザリング機能についてはとりあえず仮のネット通信なのだが便利な世の中だと思う。

その昔は、手紙を除けば、10円玉がみるみる落ちていく公衆電話しか通信手段がなかったのだから。
あまりに電話代がかかるので公衆電話利用もよほどのことがなければ使わなかっただろうに。
ここの部分とか今の人には何書いてるか意味が分からないんじゃなかろうか。

公衆電話自体、もう街であまり見ないもんな……。

脱線したが、そういうわけで連絡を比較的取りやすい時代に生きている私たちとしては、別れの切なさが昔ほどではないのだろうと思う。

でも寂しいんだけどね。
それでも出ていく前夜や向こうでの最後の夜ほどではない。泣いてばかりいたからなあ(笑)。


しかし、まあ、クルマが故障したのには参った。
故障したのである。

高速を何百キロも走って、向こうに着いて。
初めての道を、市役所だの警察だの、所用をすませようと走っていたら、キュルキュルキュルキュル耳障りな音がする。

1ヶ月ほど前、ベルトがあまりにうるさく鳴くので診てもらったことがあってそのときにボルトが折れていたので換えてもらったのだ。

また同じようにうるさく鳴きだしたな、と思いつつ、すこし走ったらガシャン!という音とともに何かが飛んでいったように見えた。
このとき運転していたのはダンナだったが明らかに異常だと思ったそのすぐ後
「バッテリーランプがついてハンドルが重くなったぞ」

ラッキーなことに近いところに市役所出張所の駐車場があったので緊急にそこに止める。

記憶の中に、たしか。確か、私のかけていたクルマの保険には遠方でのレッカーサービスが付帯していたはず、とダッシュボードの中を探す。
保険証券についていた緊急用の小さな紙を入れていたはずだと。

そのたった1枚の紙が救世主だった。
レッカーをよこしてもらえ、修理工場を紹介してもらえたのだった。
この保険契約を思い出せなかったら、見ず知らずの街で途方に暮れていたはずだった。

ダンナにはよく覚えてたな、と言われたが、あまり保険契約に関心のない自分でも、よくぞこれを思い出したと思ったのだった(笑)。

なんとすべてのベルトが切れて、ボルトが全部折れていたらしい。

普段乗らない高速で長距離走ったせいもあろうが、私のクルマはよくぞ高速で故障しなかった、と思って実に頑張ったぞ!とほめてやりたいくらいなのだ。

修理工場側も
「高速でこれにならなくてよかったですよ」

まったくだ。

もし高速道路上でこの故障に見舞われていたら、と思うとぞっとする。

故障したのは、裏道のあまり交通量の多くない場所だったのだ。

よくぞクルマがここまでもってくれたと。
故障に文句を言うのではなく、よくぞここまで頑張ったと、本当に思ったのだった。

かなり重大な故障だったため、高速上で起きていたら、本当にどうなっていたか分からない。

クルマに感謝こそすれ、文句はないのだ。

その日のうちに修理は終わらなかったが、息子の部屋で一泊できてかえってよかったかも(笑)。

クルマはなんとか着くまで頑張ろう、なんとか高速降りるまで頑張ろう、としたんだよ、きっと。



4月1日(月)23:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 育児 | 管理

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